黄色の消しゴムを持っていたからといって、別に黄色が特別好きな訳じゃ無い🐥
世の中には、黄色い色をしている物は全部バナナで色付けをしていると勘違いする子供じみた人間が存在する。
それは一体、どういう事なのかというと、”同じ黄色なら、それはバナナの素質があるのだろう”というトンデモ理論。
あなたが近鉄特急の伊勢志摩ライナー(黄色の方)の話をしていると、あなたの知人はこんな事を言い始めるかもしれない。
“バナナの色した特急か。俺はそんなの好きじゃ無い。だって黄色だから、乗ったらバナナの香りとかしそうじゃん。俺、バナナの匂い嫌いなんだよなぁ。”
伊勢志摩ライナーとバナナとの共通点は、ただ黄色のカラーだという点だけである。その人はもしかして、伊勢志摩ライナーの塗装にバナナをすり潰したものを使用したとでも考えているのだろうか。だが、これが例えだとしても、そんな極端な考えを持っている人は少ないだろう。
しかし、こんな例えもある。
ある人物に”抽象画”を見せて、その返ってきた反応を見てみる。その抽象画を描いたのは有名な画家。そしてある人物はその抽象画を”これは子供が描いたものだろうな”と判断した。そして、そのある人物に対して、今度は子供の描いた絵を見せてみる。するとその人物はこんな事を言うかもしれない。
“これはさっきの子供が描いた落書きみたいな絵よりも上手い。この絵はさっきの絵を描いた子供より年長の子供が描いたのだろう。”
知らないという事は恐ろしい事なのである。この人物は芸術の事を何も知らないのに、その絵が抽象画だという根拠をもとに、有名な作家の絵と子供の描いた絵を同一のレベルに並べてしまっている。それは、黄色っぽいものはみんなバナナと似たようなものだと言っているのと同じである。だが、実際には、有名な画家の描いた抽象画を子供の作品だと勘違いする人は少ないだろうと思われる。
またさらに、ある人物に今度は何かの文章を見せてみることにする。ある人物はその文章を読み、その文章が長文であり、言葉遣いが大人の風である事を根拠に、その文章が優れたものであると判断するかもしれない。
だが、実はその文章をよく読むと、無意味な言葉の繰り返しや、クダを巻くようなしつこい無駄な意味強調や、重箱の隅をつつくようなどうでもいい内容の掘り下げばかりの駄文だったりする。そして、その文章を書いたのはおそらく近所に住むただのジジイなのである。これまた、黄色っぽいからバナナと一緒なのだと思う事と同様なのである…これは結構、よくある事だろうと思われる…